人にとって喧嘩(互いの考えを交えること)は必要なこと。
しかし、そこに勝敗を決する行為は不要なことです。喧嘩の勝敗を自分達で決めようとすると、そこには必ず怒りと復讐が生まれ、不幸が連鎖します。
ヨシュアは、戦の前にあっても、自ら主の前でしもべであることを告白し、履物を脱ぎました。自分も相手も、同じ主(あるじ)のしもべ同士ならば、最終判断は主に委ねるのがスジ、ということです。
「ですから、主の目の前での喧嘩ならば、いくらでもすべきなんですよ!」という話を聞き、次の瞬間、妻と顔を見合わせました。
互いに言葉は発しませんでしたが、双方様々な思いが込められた視線でけん制し合い、最後にニヤリと笑いました。背中に冷たいものを感じました。
…もとい。
「どちらも主のしもべ。」この考え方は、職場、学校、家族で頻発する、全ての「ケンカ」においてとても大切だと感じました。
「喧嘩するほど仲が良い」のは、同じ主に仕える同志ゆえです。