神の「普通」

最近、「普通」という言葉をよく聞きます。

ご飯を食べて「普通においしい」

人に何か注意するときに「普通にわかるでしょ」

前者の表現は正確には矛盾していますが、若者言葉として「まあまあ」のような意味で使われており、辞書に載るほど定着しつつある言葉です。

後者の表現はなかなか一方的な表現です。

自分にとっては普通な事でも相手にとっては普通とは限らないからです。

多様化が進む「人の世の中」で、普通という価値はもはや普通ではないと言えます。

しかし、この時代にこそ、「絶対値」。揺るがぬ「神の普通(基準)」が必要なのです。

“わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4) …これが神の「普通(基準)」です。

神の普通は永遠に変わりません。 絶対値ですから。

私は神に愛されている。

「普通に」…もとい「最高に」嬉しいですね。