愛するZIONの家族が召天された大きな悲しみと同時に、
新しいZIONの家族が受洗し、増し加えられる大きな喜び。
感情はジェットコースターのように上下動を繰り返しますが、
その中で、改めて確信させられた、「確かなこと」、それは、
召されたいのちも、新生のいのちも、
人が介入できる領域はこれっぽっちもなく、
完全に神がその御手に治めておられるということです。
今、私が生かされている日常は、何一つ「当たり前」ではなく、
「有り難いこと」なのだと、気付き驚く、秋の朝です。
「ハレルヤ」と 歌いなば 悲しみも幸とならん
われは はや さ迷わじ 神ともにいませば
(讃美歌 第二編 136番 「われ聞けり かなたには」より)